20170527
日記を書くことがジョギングみたいなものに感じられる。いわば、タイピングの練習だと思えば、日記を書くことも苦にならない。
仕事を終えて、東京競馬場に行く。その前に同僚と吉野家で昼飯を食べる。塩豚丼みたいなものが美味しかった。やはり柑橘系の味付けは料理の味を締める。
東京競馬場では4レースだけ買った。結果は1勝。回収率は87%。明日もこの調子で頑張れば、100%も目指せるかもしれない。ダービーでは2年ぶりくらいに勝負していこうと思う。
家に帰るルートがうまくいかず、結局2倍位の時間をかけて家に帰り着いた。どうしようもない。
家に帰って、洗濯機を回す。今、この日記を書いている。
明日は大きな勝負に出るので、空気の流れは良くしておく必要がある。ゲン担ぎだ。
特に書くことはない。このあとはちょっと部屋の掃除をして、眠ろうと思う。深い眠りにつきたい。寝坊は許されない。4時には起きる。
20170526
今まで、こんなに日記が続いたことはない。気負いのない、統一性のない日記なので、今、日記をスマホでタイピングしていても、テトリスをやっているような、そんな感覚で日記を書いている。
こういう感覚的に書きたいことをつらつらと書いているものに、町田康のエッセイを思い出した。もっと起承転結のある日記だったと思うけど、時には崩壊した日記もあった様に思うので、大まかな形式はこの日記と同じだ。
朝、歯医者に行く。しっかり続いていることと言えば、歯医者とこの日記、毎週の競馬といったところだろうか。続けることができることがあるだけでも、まだギリギリ人間らしい暮らしをできているのではないかという、自らを励ます積極的な気持ちが浮かんでくる。
昼間は普通に弁当を食べて、少し寝て出勤した。今日は気を遣わないメンバーだったので、すこぶる気持ちよく仕事をすることができた。人間にとっていいことは気を使われないことだ。
20170525
仕事を終えて帰宅。何を食べたっけ。夜から飲み会なので寝なくてはいけなかったのだが、帰ったままの格好で寝てしまい、起きてシャワーを浴びて、飲み会に向かったのは覚えている。
久しぶりに神田に行った。元の部署の同僚に会ってみると、どうもつまらなく感じ、それは自分がつまらないからだと自覚した時、戦慄した。定期的にやってくる鬱のモードになった様に思う。踏み止まったかの様だが、日記の更新が滞ってることからも、かなり精神的なダメージを負ったことは間違いない。
結局、誰も彼もつまらない絶望的な世界を生きるしかないことを何度目かの再確認することになってしまい、そこから自分は何をすべきなのか。せめて、自分の血の繋がった家族やなんかにはこの感覚を少しでも忘れて欲しい気持ちがあるのだが、その為にはマメに連絡を取り、お互いが必要としているのだということを、擬似的にでも感じることが今思いつく解決方法だ。
20170524
たぶん、歯医者に行くのと、仕事に行く以外は何もやってない。日本ダービーが近い。それが終わってしまえば、もとの日常に戻る。その日常が愛しい。
もう、3日も前のことなので何も覚えていない。何かを思い出そうとしながら、この文章を書く。次の日は異動前の部署の人たちと飲むことになっていたので、基本的には浮き足立っていた。
仕事はどんな感じだったか、誰と働いたかも曖昧な記憶しかない。自分の記憶の曖昧さをただひたすら綴る日記。そんな、どうでもいいことを綴り、ツイッターで共有し、それを除いてしまう人がいる。
もう、本当に書くことがない。書くことと言えば、tofubeatsのニューアルバムを繰り返し聴いている。もう、曲の流れも記憶に残りつつある。
少し、誰と働いたかを思い出した。こういう記憶の曖昧さをそのまま文字にするとカズオイシグロの『わたしを離さないで』っぽい感じがある様な気がする。
20170523
仕事を終え、本屋に寄る。くせ字の本が欲しかったのだが、置いてないようだった。またの機会に。
本屋はいいな、と思った。本を読むのは好きではないのかもしれないと最近思うことが多いけど、本のことは間違いなく愛してる。これからも読まない本をコツコツと買い続けるのだろうなと思う。
帰ってからの記憶はない。夜にフットサルがあるので、あまり活動しない様にしていたと思う。
起きて、フットサルに向かう。今日は練習中心のメニューだった。
最近は何かを行動するにしても、手応えや音みたいなものを大事にしている。掃除の時にスポンジで壁を擦る音が、DJのスクラッチみたいな音で、それを繰り返していると、それがDJのスクラッチと何が違うのかと思う。生活がつまらないのだから、そういう捉え方をして、少しでも生活に彩りをつけたい。でもなきゃ、やってられない。
この日記だってそうだ。日記を書いている時にしばしば考えることだが、空白を文字で埋める塗り絵みたいに考えることがある。